落合博満監督がもう一度指揮を執ることはあり得るのか
おはようございます、元応援団員のハルカです。
毎年オフになると、だいたいどこかのチームでは監督の交代が起こります。
2021年オフは、ソフトバンク、日本ハム、中日の3チームの監督が交代することになりました。
この3人は、監督になるのは初めてです。
それぞれどのようなチーム作りをするのか、3チームとも注目が高まっています。
この時期になると、毎年考えることがあります。
『もう、落合監督の再登板はないのだろうか』
落合博満監督が中日を退任して、10年が経過しています。
落合監督は独特の手法で『オレ流』と呼ばれ、中日で8年間指揮を執りました。
8年間に優勝4回(日本シリーズは5回)、しかもすべてAクラスという常勝チームを築きました。
この8年間は、中日球団にとって初めての黄金期でもありました。
落合氏は、選手としても非常に優秀でしたが、監督としても非常に優秀。
一方、人間性という観点では極めてクセが強く、そのため称賛も批判も多い人物でした。
実績を考えればもっと評価されても良さそうですが、正当に評価されていないという印象をよく受けます。
落合監督が現場を離れて10年。
いち野球ファンとしては、落合監督の高度な戦術やマネジメントをもう一度見てみたいという気持ちが強いです。
今後、監督をされることはないのでしょうか?
そこで今回は、落合監督がどのように優秀だったのか、その優れた部分をピックアップしてみたいと思います。
これがどこかの球団幹部へのアピールになってくれれば嬉しいです!笑
あれだけ優秀な監督がこのまま采配をふるう機会がないのは、球界にとっても大きな損失だと思います。
落合監督の再登板に期待をこめつつ、その可能性を探ってみたいと思います。
落合監督のユニークな采配をピックアップ
まずは、落合監督が中日を指揮した8年間でやってきたユニークで優秀な采配を取り上げてみたいと思います。
1年目は選手全員を残留させ、補強をしない
落合監督は就任時、『誰も自由契約にせず、選手全員を残留させる』と言いました。
『自分が実力を見てもいない選手を切れない』と。
前年の中日の順位は2位でした。
ただ、2位といっても、微妙な2位です。
この年のセ・リーグは阪神がぶっちぎりで強く、2~5位は4球団が混沌としていました。
9月中旬に中日は5位で、山田久志監督は不振の責任をとって休養に入りました。
4球団が交互に好調になったり不調になったりして順位も2~5位が目まぐるしく変わるなかで、たまたま中日が2位になった時にシーズンが終了した、という感じでした。
落合監督は、そういう状態のチームを任されました。
落合監督は、『全員残留』のほかにもう一つ、『補強をしない』ことを宣言します。
他球団を自由契約になった川相昌弘選手とドミンゴ・グスマン投手を獲得した以外は、FAやトレードは行いませんでした。
そして、キャンプ、オープン戦、シーズンを過ごすなかで現有戦力の中から使える選手を見出していきました。
こうして現有戦力だけで1年目を戦い、見事に優勝しました。
自分自身が戦力を見極めた2004年のオフ、今度は一転して大量に選手を解雇し、戦力を大幅に入れ替えました。
超ハードキャンプ & 初日に紅白戦
落合監督は、『キャンプ初日の2月1日に紅白戦をする』と宣言しました。
今日の球界の常識でいえば、紅白戦はある程度状態が仕上がったキャンプの中盤以降にやるものです。
それを、いきなり初日にやると宣言。
ということは、選手は2月1日の実戦に向けて、逆算してオフの間に状態を仕上げておく必要があります。
こうして、選手に『自分で考えさせること』と『オフの間に鍛錬させること』を課しました。
2月1日には、宣言どおり紅白戦を実施。
キャンプ初日からいきなり投手が剛速球を投げ込み、打者がそれをフルスイングで打ち返すという中身の濃いキャンプがスタートしました。
すでに仕上がった状態からキャンプがスタートしたことで、『やりたい練習ができた』と監督は言い、かなり充実したキャンプになったようです。
ちなみに、キャンプは6勤1休でした。
これも、常識や相場を覆すハードなスケジューリングでした。
落合監督は、『選手各自がそれぞれ能力を10%アップさせれば、補強をしなくても現有戦力で優勝できる』と公言し、徹底的に選手を練習させました。
練習内容は、実戦に即したやり方でした。
たとえばノック。
他球団ではよく『内野を抜けそうな強烈な打球をギリギリで飛びついて捕球し、捕った球はその辺に放り投げる』という方式のノックが見られます。
見た目が派手なので、マスコミも取り上げるし、お客さんも喜びます。
一方、落合監督のノックに、『飛びつかないと追いつけない打球』はありません。
打球はすべて守備範囲内。
ただし、きっちり1歩目から反応して、足を使ってさばかないと処理できないような、いやらしい打球ばかりでした。
つまり、もし落合監督のゴロをさばけなかったら『技術不足』あるいは『手を抜いた』ということになります。
しかも、捕球した後は必ず送球。
ゴロは捕って終わりではありません。送球もセットで練習しないと上達しません。
落合監督のノックは見た目には地味ですが、『飛びつく形式のノック』と比べて、どちらが実戦で使える練習なのかは明白です。
捕手のワンバウンド捕球の練習も、実戦形式。
『最初からワンバウンドが来ると決めつけて練習する』というやり方では実戦に活きないので、ノーバンとワンバンをランダムに織り交ぜて捕球の練習を行いました。
こうした基本的な練習がきっちりと行われていきます。
中日のキャンプは12球団で一番ハードと言われただけあって、確実にチーム力が向上していきました。
選手を厳しく鍛える一方で、コーチ陣にも新たな指示を出します。
それは『暴力の禁止』です。
落合監督は、『いかなる理由があっても、選手に暴力行為を行うな』と全コーチに厳命しました。
当時は現在ほどパワハラが訴えられる時代ではなかったけど、中日には慢性的に鉄拳制裁の風土があったので、これを完全に払拭させたようです。
川崎投手を開幕投手に
落合監督は、就任1年目のシーズンで川崎憲次郎投手を開幕投手にしました。
当時は予告先発ではないので、スタメン発表まで誰が開幕投手なのかわかりません。
これは、完全にサプライズというか、ほとんどの人が度肝を抜かれる驚きの采配でした。
川崎投手は、FA宣言で中日に入団後、ケガで一度も一軍登板がないまま3年が経過しているという状態の投手でした。
そんな川崎投手を先発させたことには批判もありました。
落合監督には、この采配に狙いがありました。
どうやら、『川崎投手を開幕投手にする』という采配を通じて、『防諜したい』という意図があったようです。
当時の中日は、親会社が新聞紙ということもあってか、内部情報が外に筒抜けでした。
関係者の中に虫がいると感じた落合監督は、『川崎投手が開幕投手』という機密情報が外部に漏れるかどうか、試していたようです。
おそらくですが、『誰に知らせたら情報が漏れるのか』という探りは、この時以外にも何度か入れていたのではないでしょうか。
定期的にいろいろな関係者に『内部情報』を与え、それが外に漏れるかどうか、密かに探っていたと思われます。
また、川崎投手を開幕投手にしたことに、副次的な効果がありました。
それは、『落合監督は何をしてくるかわからない』と、他球団に警戒させたことです。
監督に就任して最初の公式戦での采配が『川崎投手を開幕投手』なので、他球団が今後の落合采配を警戒するのも当然です。
しかし、結果的に8年間のなかで奇抜な采配は、このときが最初で最後でした。
落合監督は8年間を通じて『当たり前のことを当たり前にやる野球』を徹底しました。
それに対して、相手が勝手にあれこれと警戒して翻弄されている感じでした。
シーズン終了後に全員を登録抹消
レギュラーシーズン終了後、落合監督は一軍登録メンバー全員を抹消しました。
一軍には、誰もいない状態です。
シーズン終了後になぜそんなことをするかというと、ポストシーズン対策のためです。
レギュラーシーズン終了からクライマックスシリーズまで、少しだけ期間があります。
その僅かな期間の間に、何かの理由で選手を登録抹消にせざるを得なくなることもあり得ます。
もし中途半端なタイミングで抹消してしまえば、クライマックスシリーズへの出場ができない場合もあります。
それを避けるために、落合監督は早めに選手全員を抹消しました。
そして、クライマックスシリーズの緒戦に必要な選手を直前に登録しました。
このやり方に、選手会から反発があったようです。
理由は、『一軍に登録されている日数が減る』ためです。
一軍の選手に最低保証される年俸というのがあり、それを下回る選手は日割りで不足分がもらえます。
つまり、一軍に一日でも長くいればいるほど実入りがあるということです。
また、一軍登録日数は、FA宣言の取得条件にも関係します。
一軍登録日数が減らされることで損失を被る選手がいるということです。
落合監督は『長い目で見たとき、どちらが選手のためになっているのか』と、選手会の反発を一蹴しました。
これに関しては賛否あると思います。
翌年から、NPBが『全日程を終えたら、全選手が自動的に登録抹消になる』ことを決まりとして定め、FAの対象日数には加算することを保証しました。
さらに、中日の選手も遡って全員がこの適用を受けることができ、この問題は解決しました。
NPBが落合監督のやり方に沿って新たな決まりを設けたことで、『落合監督のやり方が正しかった』と球界全体が認める形になりました。
投手をDHに起用
DHは、ふつうは『打力のない投手に代わって、野手が打席に立つ』という考えのものです。
しかし落合監督は、DHとして投手を起用したことがあります。
『先発投手の代わりに、別の投手を打席に立たせる』ということです。
もっとも、この采配をしたのは勝敗を争わないオープン戦での話です。
おそらく投手を打席に立たせることで何かの狙いをもっていたけど、マウンドにあげる投手とは別の投手に打席を経験させたい理由があったのでしょう。
あくまでオープン戦の出来事なので大きく取り上げられることもありませんでしたが、こうした奇抜な発想は他ではなかなか見られないものでした。
荒木選手と井端選手を入れ替え
落合監督時代の中日は、ディフェンス能力が高いのが特徴でした。
投手陣も優秀でしたが、野手の守備もハイレベル。
中でもセンターラインは鉄壁で、二塁の荒木雅博選手と遊撃の井端弘和選手は『アライバ』の名で知られ、そろって何年も連続でゴールデングラブ賞を獲得するほどの名手コンビでした。
『二塁ベース寄りのセカンドゴロを荒木選手が捕球し、それを井端選手にトスして井端選手が送球することで打者走者をアウトにする』というダイナミックなプレーを何年も連続で見せるなど、野球界を代表する二遊間でした。
その守備力は、プロ野球史上ナンバーワンだと評価する声もたくさんありました。
『セカンド単体、ショート単体なら過去に優れた選手が大勢いたが、コンビとなるとアライバが歴代1位』と高く評価する声が多く、球史に名を残すコンビでした。
完成された最高の二遊間でしたが、落合監督は、アライバコンビのポジションを入れ替えました。
荒木選手をショートに、井端選手をセカンドにコンバートします。
落合監督は2008年オフにこのコンバートの実施を明言し、2010年から実際に2人を入れ替えました。
『なぜ完成された球界最高のコンビをあえて入れ替えるのか』
このコンバートには、多くの批判が寄せられました。
当の本人たちにとっても、受け入れがたいコンバートだったようです。
セカンドとショートは、二塁への入り方が逆だし一塁への距離も違います。
セカンドで優秀な選手が、ショートでも最高のパフォーマンスができるとは限りません。
このコンバートをした2010年、ずっと獲ってきたゴールデングラブ賞を2人そろって逃します。
セカンドにうつった井端選手はケガで離脱してしまい、ショートの荒木選手は20もの失策を犯してしまいます。
名手の名をほしいままにした荒木選手が失策を重ねるシーンは、中日ファンでなくても残念な気持ちになりました。
それでも、落合監督は2010年から2年間、荒木選手をショート、井端選手をセカンドに固定し続けました。
表向き、荒木選手と井端選手のパフォーマンスは大幅に落ち込んだに見えましたが、この2年間、中日は連覇しました。
中日の快進撃を根本から支えてきたセンターラインのアライバコンビが大きく成績を落としたのに、どうしてチームは連覇できたのでしょう。
それは、『荒木選手が広い守備範囲でショートを守ったから』でした。
どうやら、年々井端選手の守備範囲が狭くなってきていたようです。
年齢的にみてそれは当然だし、やむを得ないことでした。
今までならショートゴロになっていたはずの打球が外野に抜けていくようになったことを感じた落合監督は、守備範囲が広い荒木選手をショートに移すことを決めます。
こうして、アライバはポジションを交替することになりました。
2010年、荒木選手の失策数は20。
確かに、多いです。
しかし『井端選手がショートだったら抜けていた打球』を20以上アウトにしたのなら、むしろチームにとってはプラスということになります。
これは、失策数よりレンジファクターを重視するという考え方です。
こうして、表向きには荒木選手の失策数の増加が際立って見えたものの、それ以上にショートゴロでのアウト数を増やすことで、中日は優位に試合を進めることができたようです。
それが2010年、2011年の連覇へとつながりました。
完全試合目前の山井投手を交替
2007年の日本シリーズ、山井大介投手は8回終了時に完全試合ペースでした。
日本シリーズで完全試合をするなんて、前代未聞のことです。
完全試合の期待が高まるなか、落合監督は最終回のマウンドに抑えの岩瀬仁紀投手を投入しました。
山井投手は一人の走者も許さないまま降板。
中日がシリーズ王手をかけていて、勝てば日本一という試合でした。
あの場面で起こりうる展開は、主に次の4つでした。
①山井投手が続投し、中日が勝つ(完全試合達成の可能性あり)
②山井投手が続投し、中日が逆転負け
③岩瀬投手を投入し、中日が勝つ
④岩瀬投手を投入し、中日が逆転負け
多くのファンや関係者が望んでいたのは①です。
ふつう、完全試合目前の投手を交代するなんてありえません。
まして日本シリーズでの完全試合達成となれば、史上初になるのはもちろん、もしかして『最初で最後の日本シリーズでの完全試合』になっていたかもしれません。
もっといえば、①という選択肢は、いちばん無難で安全でもあります。
誰の期待も裏切らないし、誰の恨みも買いません。
仮に山井投手が打たれて②の結果になったとしても、続投させたことに対して批判はないでしょう。
それでも落合監督は、もっとも勝利する確率が高いと思われる③を選択しました。
たとえ岩瀬投手が0点に抑えても批判されるのを承知のうえで。
まして、最悪の場合は④の結果になることも覚悟のうえで。
ちまたでは、『山井投手のマメが潰れて、もう限界だった』という噂が流れています。
それが交代の真相だったという説が有力視されています。
じっさい、山井投手のマメが潰れたことは事実だったようですが、続投できないほどだったのかどうかは外部からは知り得ません。
僕は、たとえ血マメなんかなくても9回は岩瀬投手だった気がします。
落合監督は、自分がどれだけ批判されようと、あくまで『日本一になる』ことを最大の目標としました。
『かっこよく勝ちたい』とか『球史に残る記録を残したい』という誘惑にまどわされることなく、また『采配を批判されたくない』と逃げることもなく、あくまで日本一のみにこだわりました。
試合終盤、多くのファンや関係者や有識者でさえ『完全試合が達成されるかどうか』ばかり気にしていました。でも、この試合は本来そういう試合ではありません。『勝って日本一を決められるかどうか』という試合です。
誤った方向に注目が集まるなか、落合監督はあくまで『日本一を達成する』という正しい目標に焦点を絞り続けました。
山井投手の降板に対して批判が殺到するのは十分わかりますが、落合監督の徹底した姿勢は、リーダーとしてはふさわしいなと感じました。
最後に、この采配で忘れてはいけないのは、この場面に登板して0点に抑えた岩瀬投手の強さです。
④という最悪の可能性もあった中で、平然と(そう見えた)抑える岩瀬投手は、本物のプロだと思いました。
勝負所を読む力がすごい
長いシーズンを戦うなかで、『この試合は落とせない』というターニングポイントになる試合があります。
それは、僕のような素人が『この試合が天王山だ』と思っている試合と、必ずしも一致しないようです。
チーム状態、試合日程、相手との相性、ローテの都合など、様々な要素から、『勝負所になる大事な試合』を見定めているようです。
そして、絶対落とせない試合は、全力で勝ちにいっているようです。
2020年、落合氏はある試合で野球解説をしていて、こんな発言をしました。
『このチームにとって、この試合は絶対に落とせない』
その日、そのチームは6点差くらいで勝っていました。
『ダメ押し点を容赦なく取り、優秀なリリーフをつぎ込んででも必ず勝ちに行くべき試合だ』と落合監督は見ていたようです。
ところが、そのチームは途中から攻撃がかなり雑になり、追加点を奪えませんでした。
さらには、終盤に大量失点してしまい、結局逆転負けしてしまいました。
この結果に対して、落合氏は『この監督は寝ないで反省したほうがいい』とコメントしました。
そのチームの最終順位は5位。
落合氏が、どういう理由であの試合が重要だと位置付けたのかは、素人にはわかりません。
ただ、もしかすると、落合氏が指摘したあの試合に勝っていれば、そのチームには別の最終順位があったのかもしれません。
落合監督が批判される理由
落合監督は批判されることが多い監督でした。
あれだけの実績を残したことを考えると、受ける批判の量は多すぎだなと思えます。
いったい、何が原因で落合監督は批判されるのでしょうか。
マスコミへのサービスが少ない
落合監督は、リップサービスをする監督とはいいがたかったです。
むしろ、マスコミを敵に回すことが多くて、どちらかというとマスコミからよく思われていないようなところがありました。
マスコミからよく思われない理由はいろいろあります。
・選手のコンディションに関わる情報を絶対に言わない
・作戦の意図を尋ねられても真意を答えない
・ブルペンからモニターを外した
プロなので、もちろん誰もが『本当のこと』を赤裸々に公開することはありません。
それにしても、落合監督は他球団の監督やコーチに比べて、情報を隠しすぎていました。
それが親会社にとってもファンにとっても不満だったようです。
ただ、試合後の監督インタビューは、毎試合欠かさず行われていたようです。
これは、球団との契約事項に定められていたことが理由のようです。
若手よりベテランを重用
落合監督は、『若手とベテランの力が同じなら、ベテランの方を起用する』と言いました。
一般的な感覚では、逆だと思います。
これから伸びる可能性の高い若手と、衰えていくベテランが現時点で同じ能力なら、将来性豊かな若手を起用したくなるのは当然ともいえます。
若手選手の将来に期待するのは、プロ野球の楽しみの一つでもあります。
どこのチームのファンも、若手の成長に期待をはせながら、数年後を思い浮かべています。
しかし、落合監督はベテランを重用しました。
それが、ファンやマスコミに批判の材料を与えてしまいます。
『落合監督の野球にはロマンがない』とか『チームの若返りに失敗する』などと言われました。
落合監督退任後、チームは衰えの見え始めたベテランばかりになり、若返りが遅れました。
確かに、批判されたとおりの結果になっています。
ただ、あのまま落合監督が指揮を執り続けていたら、もっと早いうちに何らかの手を打っていたのではとも思います。
野球がつまらない
2011年に落合監督が契約を打ち切られた理由として、『観客動員数が減少した』ことがよく言われます。
確かに、数字を見ると、前年より観客動員数は減っています。
『落合監督の野球がつまらないからだ』というのが、その要因として指摘されています。
しかし、ほんとうに落合監督の野球がつまらないから観客が減ったのでしょうか。
あの年は、東日本大震災という国難があり、プロ野球全体で観客動員数が減っていました。
そのなかで、中日はむしろ減少幅が少なく、善戦している方でした。
もしかすると、『落合監督の野球がつまらない』どころか『落合監督の野球が面白いから観客動員数の減少に歯止めがかかっていた』と見るべきだったのかもしれません。
どういう野球を面白いととらえるかは、人によって違います。
でも、一番は『勝つこと』『強いこと』ではないでしょうか。
僕は応援団をやってきて数えきれないくらい試合を観てきたけど、『負けたけど今日の試合は良かった』と思える試合なんて、年間でほぼありません。
一方、どんな試合展開であれ、勝利した日は『今日は応援して本当に良かった』と心から思えます。
かつて、西武の森監督も『バント論争』などつまらない野球だと批判されていました。
負けているチームのやっかみもあるでしょうし、勝っているチームのファンにとっては『勝つことに飽きてきた』という状態なのかもしれません。
僕は『負けることがもっともつまらない野球』と思っているので、勝ち続けている監督が『もっとも面白い野球』をファンに提供してくれていると思っています。
それが『常勝』であればなおさらです。
人間としてのクセが強い
落合監督は、考え方が超合理的です。
そのため、しばしば人間関係をないがしろにしてまで成績向上を追求するようなシーンが見られます。
また、『部外者』や『野球を不勉強な者』に対して、歩み寄る姿勢はあまり見られません。
それどころか、切り捨てていくようなイメージさえあります。(あくまでイメージ)
こうしたことから『とっつきにくい』『親しみにくい』という印象を受けてしまいます。
『ファンを大事にしていない』とさえ言われることもあるようです。
本当はまったく違う人間性をもっているのでしょうけど、メディアを通じた『落合監督の人柄』は、あまりいいものではないように映ってしまいます。
それが、人気を下げ、正しく評価されないことの一因であるのは間違いなさそうです。
まとめ
落合監督の再登板に期待を込めて、いろいろと書いてみました。
残した実績はきわめて優秀。
選手としても、監督としても、かなりの好成績をおさめました。
しかし、これだけの成績を残し続けても正当に評価されず、批判されることが多い監督でした。
まあ、あれだけの強烈な性格。
直接人間関係のあるフロントや関係者から煙たがられるのは、仕方ないことかもしれません。
不思議なのは、一部の一般の中日ファンからもバッシングを浴びていることです。
僕は、落合監督を批判する中日ファンの気持ちが正直よくわかりません。
8年間でAクラス8回、日本シリーズ5回という戦績を残した監督が不満なら、いったいどういう結果を残せばその人たちは満足するのでしょう?
黄金期すら経験したことがないチームだってあるわけですし。(中日にとっても初めての黄金期)
僕には理解に苦しむところです。
落合監督の再登板の可能性ですが、中日は二度とないでしょう。
理由は
・資金力がない
・人間関係修復が困難
・親会社(新聞社)にすら情報を遮断する
といったところです。
それ以外の11球団はどうでしょうか。
具体的な名前は挙げませんが、『この球団だったら落合監督の起用があり得るのでは』と期待をもたせるチームもあります。
冒頭でも書いたとおり、落合監督の高度な戦術やマネジメントをもう一度見てみたいと思っています。
セ・リーグでもパ・リーグでも構いません。
各球団の関係者の皆さん、どうかよろしくお願いいたします。
以上、『落合博満監督がもう一度指揮を執ることはあり得るのか』でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。