松坂世代はすごかった! 野球界を席巻したスター世代を振り返る
おはようございます、元応援団員のハルカです。
埼玉西武ライオンズの松坂大輔投手が、2021年限りで現役を引退します。
松坂投手はアマチュア時代から有名で、実力も華もある人気選手でした。
また、『松坂世代』という言葉が表すとおり、同学年に優れた選手が多かったという印象があります。
松坂世代が高校を卒業する1999年、大学を卒業する2003年には、多くの松坂世代の選手たちがドラフト1位やそれに準ずる自由獲得枠でプロに続々と入団してきました。
そして、松坂世代の選手たちは、プロでも華々しく活躍しました。
00年代のプロ野球界は、松坂世代が中心だったと言っても過言ではありません。
あれから約20年が経ち、松坂世代は2021年のシーズン開幕を40代で迎えました。
このとき、現役は松坂投手、和田投手の2人だけになっていました。
そして、松坂投手が引退。
松坂世代の活躍も、終わりを告げようとしています。
そこで、今回は松坂世代を振り返り、この世代が残した足跡について見て行きたいと思います。
松坂世代とは
松坂世代とは、松坂大輔投手と同学年のプロ野球選手の総称です。
このような言葉が生まれた背景としては、『松坂投手が高校野球で注目を集めたこと』に加えて、『同学年に実力や華のある魅力的な選手が多かった』ことが挙げられます。
松坂投手もすごかったし、周りのみんなもすごかった。
簡単に言うと、そんな理由です。
じっさい、この世代に優れた選手が多かったのは事実で、高校からプロ入りして活躍した選手もいれば、大学に進学して大学野球で中心選手になった選手も大勢います。
また、野球以外のスポーツでも顕著な活躍をした選手が多く、多くのアスリートを輩出した優れた年代でした。
やがて、その中でもトップ選手の松坂選手を冠名として、『松坂世代』という言葉が生まれました。
松坂大輔投手とは
松坂世代を代表する『松坂大輔』という選手は、いったいどのような選手なのでしょうか。
平成の怪物と呼ばれた大投手
松坂大輔投手は、一大ブームを巻き起こしたビッグネーム。
平成の怪物とも呼ばれていました。
高校時代は甲子園で大活躍し、決勝戦でノーヒットノーランを達成するなど、大きな注目を集めました。
高校生離れした実力に加え、甲子園でのドラマティックな勝ち方などもあって、『松坂ブーム』を起こしました。
野球に興味のない人でも、松坂大輔の名前を知らない人がいないほどでした。
高校野球で注目を集めた松坂投手は、高校を卒業後、西武ライオンズに入団します。
1年目から先発ローテに入ると、いきなり16勝で最多勝、ベストナイン、ゴールデングラブ、新人王と賞を総なめにします。
高卒1年目から3年連続最多勝を獲ったり、歴代最多のゴールデングラブ7度など、国内最高投手の看板を引っさげて、メジャーに挑戦します。
海外から日本に帰ってからはソフトバンク、中日を経て古巣の西武に復帰します。
松坂投手の希望球団は西武ではなかった
ちなみに、1998年のドラフトのとき、実はひと騒動ありました。
松坂投手の獲得を目指したのは2球団。
横浜ベイスターズと西武ライオンズが競合し、くじ引きの結果西武が交渉権を獲得しました。(球団名はどちらも当時)
しかし、松坂投手は、横浜への入団を希望していました。
横浜は松坂選手の地元でもあるし、その年に優勝してノリノリだったし、まあ当然ちゃ当然です。
そこで、松坂投手は西武に入団せず社会人に進む道を検討していたようです。
ここで、西武から強いラブコールを受けます。
そのときの東尾監督や西武の選手たちの勧めは熱烈でした。
東尾修監督『自分の200勝の記念ボールを彼にプレゼントする。
(冗談で)彼が200勝したとき、逆にその記念ボールをもらうから』
松井稼頭央選手『ぜひ西武へ入ってほしい。僕でよければいろいろ教えます』
西口文也投手『すぐに溶け込める、いいチームです』
小関竜也選手『僕も、流れに逆らわなかったことがいい結果(新人王)につながりました』
鈴木健選手『僕も(最初はプロ拒否で)状況は似ているけど、プロ入りは早い方がいい』
潮崎哲也投手(選手会長)『せっかく縁があったわけですから、一緒にやりましょう。決断を待っています』
このように、MVPの松井選手をはじめ、主力選手から熱い歓迎コールが届きました。
西武っていいチームだな、と思いました。
ちょっと感動すらしました。
僕は無関係の人間だけど、『もし僕が松坂選手の立場だったら、西武に入って西武で頑張りたいな』と思いました。
果たして松坂選手も西武入りを決意し、社会人には進まず西武に入団しました。
その選択が良い結果を生んだことは、みんなが知っているとおりです。
松坂世代の主な選手
冒頭で書いたとおり、松坂世代には松坂投手の他にも優秀な選手が大勢います。
ここでは、主だった選手をドラフト年別に紹介してみましょう。
松坂世代の主な選手(1998年ドラフト)
1998年のドラフトでは、松坂世代から29人の選手がプロに入団しています。
高卒から、そのままプロに入った選手たちです。
・松坂大輔投手(横浜高校)
松坂世代の代表格。投球もすごいけど、クイックやフィールディングも秀逸です。
・藤川球児投手(高知商業高校)
火の玉ストレートに形容される『浮き上がる真っ直ぐ』が武器のストッパーです。メジャー経験もあります。
・小池正晃選手(横浜高校)
2005年には20本塁打を放つ傍ら37犠打を決めるなど、『何でも頼れる男』という印象です。
豪快かと思えば緻密。引退試合では、2発放り込みました。
・東出輝裕選手(敦賀気比高校)
高卒1年目から出場して犠打や盗塁で貢献。守備でも年々成長を見せました。
同級生の梵選手と二遊間を組みました。
・森本稀哲選手(帝京高校)
性格の明るい外野手で、俊足好守。『松坂世代のセンターで自分が一番うまい』と自負しているそうです。
2006年、SHINJO選手、稲葉篤紀選手とともに、同一チーム3人で外野のゴールデングラブを受賞したのは圧巻でした。
・實松一成選手(佐賀学園高校)
人望が厚く、また研究熱心で知られるキャッチャーです。
日本ハムで唯一のドラフト1位の高卒捕手だそうです。
・赤田将吾選手(日南学園高校)
元々は内野を守っていましたが、センターにコンバートしてレギュラーを掴みました。
俊足が武器で、一時的にスイッチヒッターに取り組んでいました。
パンチ力や犠打など多くの武器を持っていましたが、大ケガをしたのが悔やまれます。
・古木克明選手(豊田大谷高校)
豪快なスイングから放つ長打が魅力でした。鍛え上げた凄い身体をしていました。野球を引退後、格闘家に転向して勝利も挙げました。
・吉本亮選手(九州学院高校)
高校時代、かなり名の知れたスラッガーでした。
和田投手、新垣投手によると、この世代のまとめ役だそうです。
松坂世代の主な選手(1999年〜2001年ドラフト)
1999年〜2001年の3年間では、松坂世代から6人の選手がプロに入っています。
・杉内俊哉投手(鹿児島実業高校)
高校時代は『高校生には打てない』と言われたカーブを武器に、ノーヒットノーランを記録するなど活躍しました。球持ちの良さで知られ、プロでもMVPや沢村賞を獲得するなど大活躍しました。
松坂世代の主な選手(2002年ドラフト)
2002年のドラフトでは、松坂世代から34人の選手がプロに入っています。
ほとんどは高校から大学に進学し、大学を卒業してプロ入りしたメンバーです。
多くが大学野球の中心選手でした。
・和田毅投手(浜田高校 → 早稲田大学)
自由獲得枠でホークスに入団する際、『プロ野球史上もっとも男前』だの『歌舞伎役者のように整った顔』だの騒がれたイケメン左腕です。
シーズンが始まると、1年目から14勝をあげるなど、顔より実力でさらに話題になりました。
2021年現在で現役を続行していて、松坂世代最後の選手になります。
・新垣渚投手(沖縄水産高校 → 九州共立大学)
快速球が武器の長身右腕です。
三振も暴投も多く、豪快な投げっぷりが気持ちいい投手でした。
同じく自由獲得枠で入団した和田投手とは違ったタイプの男前でした。
・久保田智之投手(滑川高校 → 常磐大学)
トルネード風の投げ方で、主にストッパーやセットアッパーとして活躍した豪腕投手です。
性格は強気で投手向き。2005年はJFKの一人として投げまくり、90試合に登板して阪神の優勝に貢献しました。
・館山昌平投手(日大藤沢高校 → 日本大学)
最多勝を含む2桁勝利6回や、12連勝を記録するなど実力のある投手でした。
ケガが多いのが残念でしたが、そのたびに乗り越えて復活する姿は感動的でした。
・木佐貫洋投手(川内高校 → 亜細亜大学)
1年目に投球イニングを上回る三振を奪って2桁勝利をマークした大型右腕。
生真面目で、謙虚で、練習熱心で、ファンから好かれる選手でした。
・久保裕也投手(沖学園高校 → 東海大学)
先発、中継ぎ、抑えのすべてで高いパフォーマンスを示しました。連投も利くし、スタミナも抜群でした。
明るくてトークが面白い選手です。
・小林正人投手(桐生第一高校 → 東海大学)
主にワンポイントとして活躍した左のサイドスロー投手です。
特に読売の阿部慎之助選手に強かったことで有名です。
・永川勝浩投手(広島新庄高校 → 亜細亜大学)
ほとんど直球とフォークボールで三振を奪いまくるストッパー。
三振が多い反面、四球や暴投も多かったイメージです。かなりダイナミックな投球フォームでした。
・村田修一選手(東福岡高校 → 日本大学)
広角に長打を打ち分けるスラッガーで、守備にも定評がありました。
相手の引退試合で本塁打を放ったことが何度かあって批判を受けたりもしましたが、僕はその場面で打った村田選手を肯定します。
・小谷野栄一選手(創価高校 → 創価大学)
打点王を獲得するなど、勝負強さが際立つ中距離打者。
やっかいな病気を発症しつつも活躍を続けた強い選手で、僕もその姿に勇気づけられました。
・後藤武敏選手(横浜高校 → 法政大学)
高い打撃力がありつつ、ケガが多くてなかなか一軍に定着できないのが残念でした。
横浜時代にゴメスというあだ名が定着して、そのまま登録名にもなりました。
・木村昇吾選手(尽誠学園高校 → 愛知学院大学)
内野の全ポジションをこなせるユーティリティープレーヤー。
FA宣言時は、獲得に名乗りを上げる球団が現れず、西武にテスト入団しました。
・大西宏明選手(PL学園高校 → 近畿大学)
三拍子揃った外野手で、肩の強さと勝負強さが売りでした。
高校3年の夏の甲子園で、松坂投手から延長戦で同点タイムリーを打ったのが印象的です。
松坂世代の主な選手(2003年以降ドラフト)
2003年以降も数人ずつドラフトに指名されています。
2003年は2人、2004年は8人、2005年は8人、2006年は4人、2007年は1人、2008年は1人の松坂世代の選手がプロに入っています。
・久保康友投手(関西大学第一高校)
プロ入り時には『松坂世代最後の大物』と呼ばれた投手で、国内3球団でエースとして活躍しました。
多彩な変化球が特徴的でしたが、クイックの速さも大きな武器でした。
・川井進投手(上田西高校 → 大東文化大学)
開幕11連勝をマークしたこともある先発タイプの左腕投手です。
途中から雄太(ゆうだい)という登録名に変わりました。
・多田野数人投手(八千代松陰高校 → 立教大学)
大学時代、和田投手と投げ合うといつもロースコアになるという東京六大学を代表する投手でした。
海外でのプレーを経て日本球界入りします。
久保康友投手が『最後の大物』と言われましたが、その後で入団した大物ということになります。
稀に山なりの超スローボールを投げることでも知られています。
・竹原直隆選手(関西高校 → 城西大学)
打力が魅力的なスラッガーです。左投げ右打ちという珍しい選手でした。
・平石洋介選手(PL学園高校 → 同志社大学)
守備力の高い外野手で、アマチュア時代に主将を務め続けた『将の器』でした。
星野仙一監督からも可愛がられ、やがて楽天の監督に就任しました。
・梵英心選手(三次高校 → 駒澤大学)
俊足にパンチ力も兼ね備えた遊撃手で、1年目からショートのレギュラーを獲得しました。
チームメイトの東出選手と、同級生で二遊間を組みました。
・渡辺直人選手(牛久高校 → 城西大学)
守備力と選球眼に優れた内野手で、ケガに強いのも特徴でした。
大卒で社会人を経たためプロ入りは遅かったけど、その後長く活躍し、けっきょく松坂世代最後の野手になりました。
松坂世代の評価
松坂世代でもっとも活躍したのは、誰でしょう。
違うカテゴリーの選手を比較するのは好きじゃないけど、やっぱり松坂投手ということになるでしょうか。
投打で活躍した選手を評価してみましょう
松坂世代の投手の評価
松坂投手は、日本では通算114勝65敗、メジャーでは56勝43敗の成績を残しています。
最多勝3回、最優秀防御率2回など多数タイトルを獲得、沢村賞も受賞しています。
この他の先発投手では和田、杉内、新垣、館山投手がタイトルを獲得しています。
救援投手では、藤川投手が一番でしょう。
藤川投手は日本で782試合に登板して60勝243セーブ163ホールドを挙げました。
タイトルは最多セーブと最優秀中継ぎを2回ずつ獲得しています。
続く選手としては、同じ阪神の久保田投手が444登板41勝47セーブ117ホールドで最優秀中継ぎを2回獲得しています。
永川投手は527登板38勝165セーブ79ホールドを挙げています。
主な松坂世代の投手の通算成績(2021年10月18日現在)
松坂大輔
218登板 114勝 65敗 1S 0H 防御率3.04
沢村賞、最多勝3回、最優秀防御率2回他
和田毅
288登板 143勝 77敗 0S 0H 防御率3.19
MVP、最多勝2回、最高勝率、新人王他
杉内俊哉
316登板 142勝 77敗 0S 0H 防御率2.95
MVP、沢村賞、最多勝、最優秀防御率他
館山昌平
279登板 85勝 68敗 10S 24H 防御率3.32
最多勝
新垣渚
172登板 64勝 64敗 0S 0H 防御率3.99
最多奪三振
久保康友
304登板 97勝 86敗 6S 20H 防御率3.70
新人王
木佐貫洋
215登板 62勝 72敗 10S 0H 防御率3.76
新人王
久保裕也
506登板 54勝 37敗 37S 113H 防御率3.45
藤川球児
782登板 60勝 38敗 243S 163H 防御率2.08
最多セーブ2回、最優秀中継ぎ2回
久保田智之
444登板 41勝 34敗 47S 117H 防御率3.16
最優秀中継ぎ2回
永川勝浩
527登板 38勝 42敗 165S 79H 防御率3.46
松坂世代の野手の評価
野手では村田選手の名前が浮かびます。
野手の中では1865安打360本1123打点と群を抜いた成績を残しています。
他にレギュラー選手だったのは小谷野、森本、東出、梵の各選手が続いています。
こちらはそれぞれ特徴があって、各分野でトップ争いをしていました。
主な松坂世代の投手の通算成績
村田修一
1953試合 1865安打 360本 1123点 14盗 打率.269
本塁打王2回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ3回
小谷野栄一
1394試合 1260安打 71本 566点 31盗 打率.264
打点王、ベストナイン、ゴールデングラブ3回
森本稀哲
1272試合 904安打 33本 267点 106盗 打率.259
ベストナイン、ゴールデングラブ
東出輝裕
1492試合 1366安打 12本 262点 143盗 打率.268
ベストナイン2回
梵英心
1096試合 990安打 74本 357点 135盗 打率.264
盗塁王、新人王、ゴールデングラブ
赤田将吾
913試合 643安打 30本 211点 75盗 打率.255
渡辺直人
1135試合 855安打 7本 229点 115盗 打率.259
小池正晃
810試合 415安打 56本 189点 6盗 打率.243
古木克明
537試合 312安打 58本 150点 12盗 打率.247
後藤武敏
618試合 312安打 52本 184点 1盗 打率.254
松坂世代は過大評価なのか
松坂世代が賞賛される一方で、『松坂世代は過大評価されているのでは』という意見もあるようです。
誰も名球会入りしていないことが、その大きな理由になっているようです。
松坂投手、藤川投手らがメジャーに行ったことで成績が伸びなかったという点を考慮したとしても、確かに他の世代にもっと高い成績を残した選手がいるのは事実です。
一つ下には岩隈久志投手、鳥谷敬選手、青木宣親選手、川崎宗則選手、糸井嘉男選手らがいます。
さらにその一つ下には内海哲也投手、攝津正投手、内川聖一選手、中島裕之選手、畠山和洋選手らがいます。
どの世代にもすごい選手はいるもので、こうして比較して見ると、たしかにすべての世代が遜色ないように見えます。
さらに言えば、『ダルビッシュ投手の世代の方がすごい』とか『ハンカチ世代が一番』という意見もあります。
どの意見も、もっともだと思える根拠もあります。
とはいえ、松坂世代が多くプロ入りしてきた1999年と2003年、彼らのインパクトが強烈だったことも事実です。
また、『あの世代がプロ野球界の中心だった』という印象は強く残っています。
そうした意味で、やはり他とは違う異質な世代だったということは言えそうです。
まとめ
松坂大輔投手をはじめ、松坂世代の選手たちは00年代を中心に長くプロ野球で活躍し続けてきました。
その松坂世代の選手も年々減っていき、ついにはトップスターの松坂投手が引退することになりました。
松坂世代の選手たちは、数々のタイトルを収め、多くの話題を生み続けました。
たくさんの名勝負を繰り広げ、プロ野球界を引っ張ってきました。
松坂投手をはじめ、松坂世代の選手たち、本当にお疲れさまでした。
個人的に、松坂大輔投手には、『松坂世代最後の一人』になって欲しかった気持ちがあります。
しかし、高校時代から『松坂世代』など世代を代表する名前をつけられ、その名の通り、最後までその世代のトップ選手であり続けた松坂投手は本当にすごいと思います。
そして、最後の一人になった和田投手には、最後の一輪といわず、まだまだ花を咲かせて欲しいと思います。
以上、『松坂世代はすごかった! 野球界を席巻したスター世代を振り返る』でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。